「2016年7月」に書かれた記事

「悪党」(薬丸 岳)を読みました。

悪党(薬丸 岳)

元警官の探偵・佐伯修一は「息子を殺し、少年院を出て社会復帰した男を追跡調査してほしい」という依頼を受けるのですが、一冊を通して、この依頼を解決すると思っていたら、あっという間に終わります。

この依頼をきっかけに、佐伯の探偵事務所が犯罪の被害者に向けて「加害者の追跡調査」を売りにするため、そこから同じような依頼を何件も受けるという連作集でした。

依頼の内容や、それぞれの立場がビミョーに変わっているのですが、似たような話に感じてしまいました。あとから前の話の登場人物が話題になったりするのですが、「この人どの話の人だっけ? あの被害に遭った人か?」とテキトーに読んでいるとごっちゃになりそうでした。

全体を通してのテーマは「「Aではない君と」読んでいて辛かった・・・」で紹介した「Aではない君と」(薬丸 岳)と同じです。

「Aではない君と」は立場が逆で、加害者側の視点で描かれていましたが、書かれてるテーマは一緒で「加害者はどうすれば『更生した』と被害者は思えるだろうか?」ということです。

いろんな答え、いろんな考え方が出てきますが、被害者側から見ると数年間刑務所で過ごして更生しましたと言われても、スッキリしないでしょう。かと言って、加害者を殺せとまでは思えないし。

自分が被害者の立場なら、加害者が幸せでなかったら赦せるのかなと思いました。

加害者が出所した後、普通に幸せな家庭を築いていたら「こっち(被害の家族)は、殺されて元の生活に戻れないのに、あいつ(加害者)はどうして幸せに暮らしてるんだ」と感じることでしょう。

逆に、生きていくのがギリギリなくらい貧しい生活をしていたり、余命幾ばくもない大きな病気を患っていたりしていると「あいつ(加害者)も大変なんだな・・・」と感じるのではないかと思いました。

スゴく自分がセコく、器の小さい人間に感じてしまいますが、自分より幸せだと「赦せん」と感じ、自分より不幸だと「赦してやってもいいか」と感じると。

「Aではない君と」読んでいて辛かった・・・」の時、このように書きました。

自分なら、何ができるだろうか?
子供のために自分の生活をどこまで犠牲にできるだろうか?
そして、どうすれば更生したと言えるのだろうか?

被害者のことを考えて反省し、慎ましやかな生活を送る。それで被害者が納得してくれるかわからないけど、今ならそんな風に考えたのではないかと思いました。