「消された一家 −北九州・連続監禁殺人事件」松永太は死刑でも優しすぎる

「消された一家 −北九州・連続監禁殺人事件」(豊田 正義)を読みました。

読む前からこうなることはわかっていましたが、読んでいる間、何度も気分が悪くなりました。

消された一家 −北九州・連続監禁殺人事件(豊田 正義)

この本は、2002年3月に福岡県北九州市で発覚した監禁、殺人事件「北九州監禁殺人事件」について書かれた本です。

「北九州監禁殺人事件」は、連続殺人死体遺棄事件「尼崎事件(尼崎連続変死事件)」に似ているということで、「尼崎事件」が発覚した2012年10月頃話題になったりしましたが、「あまりにも残酷な事件内容のため表現方法が極めて難しい」などの理由により報道規制されていたため、意外とあまり知られていなかったりします。

監禁して、7人もの人が殺される殺人が起こるなら、他にも同じような事件はるかもしれませんが、この事件の特異なところは、主犯の2人が7人を殺したのではなく、お互いに殺し合いをして7人も殺したところです。しかも、その7人は赤の他人ではなく、家族であったところでしょう。

「北九州監禁殺人事件」関係者の相関図 北九州監禁殺人事件 | なんでそうなるの?」より

事件の概要は理解できても、理解できないことだらけです。
なぜ家族で殺し合ったのか?
なぜ逃げ出さなかったのか?
松永太、緒方純子とは、どのような人間なのか?

これらを知りたくて、この本を読みました。

どのようなことが行われていたのか、ある程度は理解しているつもりでしたが、実際に詳しく書かれた文章を読んでいると、何度も気分が悪くなり、長時間続けて読むことができませんでした。そこに書かれていたのは、まさに鬼畜の所業といったヒトがヒトにできるとは思えないような行為でした。

関係者で唯一生き残っている恭子さんです。恭子さんが逃げたことで、この一連の事件が発覚するわけですが、もし逃げることができなかったら・・・ 恭子さんも無事でいられたかわかりませんし、この事件が発覚することもなかったかもしれません。また、8人目、9人目の犠牲者が出ていたかもしれません。よくぞ逃げてくれたと思います。

「学習性無力感」という状態

最初に殺されるのが、その恭子さんの父、清志さんです。松永は最初はやさしく、親切でよい人のように振る舞ってターゲットに近づいていきます。

清志さんの場合は、投資話を持ち掛けられます。松永を完全に信用してしまった清志さんは「いっしょに競馬予想会社を始めよう」との誘いに飛びつき、その事業の必需品であるという最新式コンピューターの購入まで引き受けてしまいます。最初は松永に「所長」と呼ばれ、純子も一緒に連日のように飲みに行ったりするわけですが・・・

徐々に人間らしい扱いをされなくなっていくわけですが、そこで使われるのが「通電」です。電気の線を身体の一部にクリップで繋がれ、コンセントに抜き差しして感電させられるのです。これをされるとみんな諦めて松永に従うようになってしまいます。これは、もともと松永の経営していた会社ワールドで始めたようです。

このワールドも理解できないことが多々ありました。そもそも通電を考え出したのは従業員で、それを見た松永が使い始めるわけですが、電気ショックの恐怖に脅える従業員達は競い合って、松永の歓心を買うようになります。まず、ここから理解できません。想像してみてください。電気を使った体罰のある職場を。

なぜおかしいと思わないのか?
なぜ納得しているのか?

松永はお互いに密告させたり、自分の目前で罵り合いをさせたりして、従業員達が結束して抵抗してこないように仕向け、しまいには従業員同士で通電しあう光景が常態化したそうですが、もう理解できません。百歩譲って、家に監禁され、逃げることができずに通電されるなら、まだわかります。なぜそんな職場に毎日通おうと思うのか?

そう思っていたら、驚きの事実が書かれていました。

夜中の三、四時ごろに寝ることを許され、朝七時頃には起こされた。授業中に居眠りをして、教師からもたびたび叱られた。恭子が学校に行くときも帰ったときも、父親は浴室で立っていた。帰宅すると彼女もすぐに浴室に入り、寝る時間まで父親と並んで立っていた。宿題をやることさえ許されなかった。

えっ?! 家で監禁されていたのではなく、恭子さんは毎日学校に通っていた?!
なぜ、先生や友達に話さなかったのか?
周りの人は気づかなかったのか?
子供だから、親が人間らしい扱いをされていないことがおかしいとか、逃げられると思わなかったのかもしれません。と、思ったのですが、そういう問題でもないようです。

清志さんは、通電や厳しい制限に逃げ出しも刃向かいもせず、「やめてください」の一言も発しなかったようですが、それは「学習性無力感」という状態だったようです。

これは心理学者のレノア・ウォーカー博士が唱えた説で、実験的に檻に閉じ込めた人間や犬などに電気ショックを与えつづけると、最初は逃げようとしても、次第にそれが不可能だと学習すると、無抵抗になっていき、しまいには扉を開けても檻から出なくなるそうです。つまり、この状態になるまでに逃げ出さないと、松永に廃人化されてしまうのです。

そして、清志さんは亡くなってしまいますが、このあとも、松永は用意周到というか、後々までのことを考えて行動していることがよくわかります。

どうすれば犯罪者にならないか?

死体をそのまま埋めたり、捨てたりしません。バラバラに解体するのですが、他のバラバラ殺人とは比べものになりません。よくあるのは、せいぜい山林に埋めたり海に沈めるくらいです。

彼はまず、切断部分を少しずつ家庭用鍋に入れて煮込むよう指示した。さらに長時間煮込んで柔らかくなった肉片や内臓をミキサーにかけて液状化し、幾つものペットボトルに詰め、それらを公園の公衆便所に流させた。粉々にした骨や歯は、味噌と一緒に団子状に固め、クッキー缶十数缶に分けて詰め込んだ。そして大分県の竹田津港まで赴き、夜更けにフェリー船上から味噌団子を散布した。解体に使った包丁やノコギリは川に捨て、浴室や台所は徹底的に掃除し、清志の着ていた衣類もシュレッダーで刻んで捨てた。すべての解体作業が終了したのは、清志の死から約一ヵ月後だった。

ここまでやるか? というくらい、いや、それ以上の慎重さです。絶対に証拠が残らないようにしています。もちろん、松永自らは行いません。すべて人にやらせます。

さらに松永は、恭子さんに「あんたが掃除しよるときに、お父さんの頭を叩いた。だから死んだんだ」と言いがかりをつけ、「私がお父さんの頭を叩いて、お父さんは頭を壁にぶつけて死にました」という事実関係証明書を書かせます。他の時にもこのような事実関係証明書を書かせて、自分(松永)は関係ないという証拠を作っていきます。

清志さんの死体の解体と遺棄については時効が成立しているため、関与を認めています。
「私は解体の企画・更生に携わり、プロデュースしました。設計士がビルを建てるのと同じです」
「私の解体方法はオリジナルです。魚料理の本を読んで応用し、つくだ煮を作る要領でやりました」
「解体するのには、『死者の弔い』という意味がありました。恭子ちゃんを関与させたのは、お通夜などでも死体にずっと寄り添うのは親戚なので、恭子ちゃんは清志さんの死体につけておくべきだと思ったからです。解体作業をすれば、ずっと遺体についているので、供養になるという意味です」など法廷で語っています。

松永は、何も考えずに残虐な行為を行っているのではなく、どうやれば犯罪者にならないか、理解したうえですべて行動しているのです。

松永とは、どういう人間なのか?

松永とは、どういう人間なのでしょうか? どうやってこのような人間に育ったのでしょうか?

松永の供述調書にある「人生のポリシー」に、すべての行動がよく現れていると思います。

「私はこれまで起こったことは全て、他人のせいにしてきました。私自身は手を下さないのです。なぜなら、決断をすると責任を取らされます。仮に計画がうまくいっても、成功というのは長続きするものではありません。私の人生のポリシーに、『自分が責任を取らされる』というのはないのです。(中略)私は提案と助言だけをして、旨味を食い尽くしてきました。責任を問われる事態になっても私は決断をしていないので責任を取らされないですし、もし取らされそうになったらトンズラすれば良いのです。常に展開に応じて起承転結を考えていました。『人を使うことで責任をとらなくて良い』ので、一石二鳥なんです」

自分の行ったことに責任を持たない、こういう人間は僕は大嫌いです。殺人や犯罪を起こしていなかっても、松永は大嫌いな人間だったでしょう。

小学校の担任教師達の供述調書によると、大して勉強もしないのに、全学年を通してほとんどの科目がオール5であるとか、学級委員長を何度も務めたり、生徒会の役員に就いたこともあるなど、頭はよかったことがわかります。

また、中三の担任の供述調書でも「目立ちたがり屋でワンマン、リーダー的存在でした。周囲に有無を言わせず、声が大きく、威圧感を与えるタイプ。」と頭がよくリーダーシップに長けていることが窺えます。これも大嫌いなタイプですが。

ただ、「『俺はいつでも松下幸之助と連絡がとれる』とか、すぐにほらを吹きました。株や、どうしたら金儲けできるかといった話をしていました。取り巻き連中を作って、悪さも取り巻きにさせていました。」このあたりで大人になってからの松永を予感させられます。

理解できないこともありました。「家庭訪問をしようとしても、うちは話すことがないからと断りつづけるので、結局行くことができず、両親がどんな人なのか分かりません」本人に断られたという理由で、家庭訪問ができないことは普通にあるのでしょうか?

松永がどういう人間だったのかは見えてきましたが、どうやってあのような人間に育ったのかは、わかりませんでした。

もし、自分が被害者の一人だったら・・・

この事件は松永がいたからこそ起こった事件ですが、読んでいて感じるのは松永一人では起こらなかったのではないだろうか? ということです。

もし、自分が被害者の一人だったら・・・と考えると、到底納得できないのです。これだけ酷い目にあわされたら、仕返ししてやろうとか、殺されるくらいなら殺してやるとか思うのです。読んでいて何度も、松永を殺してやると思ったほどです。

ところが、ここに出てくる被害者はみんな、松永に従うのです。なんでやねん?
亡くなった方にこんなこと言うのもなんですが、この本にこのように書かれていました。

不幸にも松永の餌食となった者は、純粋な性格だが間が抜けている、実家がそこそこ裕福である、子供がいる、といった特徴がある。こうしたターゲットに、松永は容赦なかった。身につけていたサディスティックな発想力に加え、監禁虐待に関する書物も読み漁り、多彩な制限や虐待を加えていった。そして、それらが与えるダメージを、楽しみながら観察していた。

人がよいというか、馬鹿正直というか、ピュア?
そんな印象の人と松永が組み合わさった時に起こったのかと思いました。いくら口が上手いと言っても、騙されない人も多いと思いますし、被害者家族全員で寝ている松永を襲えば逃げるなりなんなりできると思うのです。僕が被害者家族の中にいたら、絶対松永を殺しています。

廃人にされたり、体力がなくなったりして、逃げられなくなる前なら、監禁されているわけではないので、逃げられると思うのですが、なぜかみんな松永の言う通り、家から松永の家まで通ったり、外出しても戻ってくるのです。

どうして、誰も抵抗しないんだ? と思っていたところに登場したのが純子の妹・理恵子さんの夫の主也(かずや)さんです。27歳のときに緒方家の婿養子となり、純子の父・譽(たかしげ)さんと同じ職場に就職しますが、その前は千葉県警の警察官をしていました。

主也さんなら、なんとかしてくれるはず。そう期待して読んでいたのですが、ダメでした・・・
松永は、理恵子さんの親友から、理恵子さんが結婚前に妊娠・中絶の経験があったことを聞き出し、理恵子本人からは結婚後も同僚男性と不倫したこと聞き出し(理恵子、何やっとんじゃ!)、まず主也と理恵子の仲を悪くさせ、徐々に付け入ってきます。

そして、清志殺害の証拠隠滅として、浴室のタイルの貼り替えを引き受けさせます。これで主也さんも松永に従うしかなくなってしまいます。何かにつけて松永から「元警察官たるものが......」と言われ、殺人の証拠隠滅に加担したことを蒸し返えされ、共犯意識を植えつけていかれました。

なぜ?

ここでも「なぜ?」でした。タイルを貼り替えて、証拠を隠滅してもいいじゃないか。どうして、それを隠そうとするのか? 自首して、自分の犯した罪を償えばいいじゃないか。そして、松永の罪をつまびらかにすればいいじゃないか。

これは主也さんに限った話ではありません。どうしてみんな自分や家族の犯罪を隠そうとするのか? 犯罪者になったり、刑務所に入るのが嫌なのか?
これも理解できませんでした。どうして毎日通電されたり、人間として扱われない生活にガマンしているのか。刑務所の方がまともな扱いされるだろうに。

そして、ついに主也さんは久留米から松永のいる小倉に引っ越しさせられるわけですが、この時も、松永は主也さんに熊本県のアパートを契約させ、一度家族の住民票を移動させて、架空の引っ越しを演出させるなど、小倉にいることがわからないようにするため、慎重に行動していることがわかります。

まわりに気づく人がいなかったのか? とも思ったのですが、それぞれ何千万円や何百万円といった大金を松永に搾り取られているため、当然おかしいと気づく人もでてきます。純子の父・譽の二人の弟が譽に問いただします。「金はどうなっているのか?」「松永に渡したのではないか?」「主也の家族はどこで何をやっているのか?」しかし、曖昧な返事をするだけで、真相は語られませんでした。それほど松永の呪縛は大きい存在だったのでしょう。

松永は子供にも容赦ありませんでした。10歳の彩さんに対しても「彩ちゃんが以前、神社に行ったときに、神社の神様に『おじいちゃんなんて死んじゃえ』とお願いしたから、本当に死んじゃったんだよ。彩ちゃんのせいでおじいちゃんは死んだんだ」と罪悪感を植え付け、解体作業を手伝わせたりしています。

最後に・・・

被告にどのような処罰を望むかと訊かれた時、恭子さんは「お父さんの敵は、きっと私が取ります。ここまで苦しめられた敵を取る方法は、松永、緒方両方ともが死刑になることです」と言っていますが、むしろ死刑でも優しすぎると思います。

この本を読んでもらえばわかりますが、松永は時効が成立している死体損壊や死体遺棄、また詐欺や虐待などについては認めています。しかし、殺人については絶対に認めていません。連続殺人を認めると死刑が免れないことをわかっているので、避けるために無理やりに作ったストーリーを語っています。反省や被害者に対する謝罪する気持ちなんて微塵もありません。

できることなら死刑などにせず、死なない程度に毎日通電しつづけて、亡くなった方にしたことと同じ目にあわせてやりたいと思いました。

著者は、純子に対する死刑判決について、虐待被害者の心理を無視した見方だと考えているようです。判断力・批判力が著しく低下し、心理的服従を余儀なくされていた状態での殺人だと。

確かに純子はたまたま最後に残っていただけで、先に殺されていたかもしれません。また、この事件が発覚しなかったら、次に殺されていたかもしれません。たまたま最後に残っていて、まだ殺されていなかっただけかもしれません。もし、最後に残っていたのが理恵子さんだったら? 主也さんだったら? どうなっていたのでしょうか?

でも、純子には松永との間に子供が二人いたり、恭子さんが松永、純子の死刑を望んでいることからも、他の人とは立場が違ったのではないかと思いました。

誰にでもオススメできる本ではありません。また、元気な時でなければ、読めません。疲れたり、元気のない時に読むと、自分まで気分がやられてしまいそうになる本ですが、もし興味を持たれたら・・・

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

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