「横道世之介」読んでよかったと思う。けど...

「横道世之介」(吉田 修一)を読んだ。

最初、「横道世之介」って聞いた時は、ラップかレゲエのミュージシャンかと思った。
映画のタイトルと知ったのはしばらくしてからだった。

予告編を観て、おもしろそうだな・・・と思っていたところに、また「Kindle ストア」で原作を発見!

横道世之介(吉田 修一)

さっそく購入して読んでみたわけだが、なぜかこの「横道世之介」、Kindle ストアに2冊存在する。

文藝春秋と毎日新聞社、2つの「横道世之介」

毎日新聞社の「横道世之介」が700円。
文藝春秋の「横道世之介」が750円。でもポイントが75ptつくので実質は675円で、こっちの方が安いのか?

内容が同じか違うのか知らない。とりあえず表紙と価格が違うのだけは確かだ。
どういった事情があるのか知らないが、こういうことはやめて欲しい。やるなら、それぞれの違いを明確にして欲しい。

ちなみに「文藝春秋」版の存在を知らなかった僕は、「毎日新聞社」版を読んだ。
「文藝春秋」版の方が表紙が好みなんだけどなぁ・・・

80年代あるある! 早く言いたい〜♪

あらすじはこんな感じ。

大学進学のため長崎から上京した横道世之介18歳。愛すべき押しの弱さと隠された芯の強さで、様々な出会いと笑いを引き寄せる。
友の結婚に出産、学園祭のサンバ行進、お嬢様との恋愛、カメラとの出会い...。誰の人生にも温かな光を灯す、青春小説の金字塔。第7回本屋大賞第3位に選ばれた、柴田錬三郎賞受賞作。

Amazon.co.jp: 横道世之介 (文春文庫): 吉田 修一: 本」より

これだけではこの本のよさが伝わるのか? という気がしないでもないけど、本当にこのまんま。
今から20年以上前、バブル景気と言われた頃、大学進学のため長崎から上京した横道世之介が過ごした1年間を描いた話だ。

おそらく僕は世之介と同い年か、違っても1歳とかそれくらいの差で、ほぼ同じ時を過ごした。

話に出てくる出来事や流行など、どれも懐かしく、80年代あるある満載だった。
読んでいると「そう言えば、そんなことあったなぁ・・・」と、まるで自分が経験した話のように感じたり、「そんなヤツおったなぁ・・・」と、久しぶりに会った友達と当時のことを話しているような気分になった。

あの頃、みんながあんな感じだったのだ。そんな気がする。

なんでもない毎日が楽しかった。でも、僕がそのことに気づいたのは、大学を卒業した後だった。

働き始めてから間もない頃、サザンオールスターズの「Ya Ya(あの時代を忘れない)」を聴いては、大学卒業とともに人生の喜びや楽しみは全て終わってしまったと思っていた。
学校に行って、授業の後で友達と取り留めのない話をして時間を潰す。何もするわけでもなく、思いつきで海まで行ったり、映画を観たり・・・
もう、あんな日は二度と過ごすことができない。そんな風に思い、

30代には30代の、社会人には社会人の楽しさがあることに気づくには、まだ2、3年必要だった。

そして、男子高校生の妄想あるあるに・・・

話を「横道世之介」に戻すと、世之介の前に祥子ちゃんが現れる。
映画の予告編を先に見てしまったので、祥子ちゃん=吉高由里子のイメージで読んでいたが、ぜんぜん違和感なく、むしろ吉高由里子以外のキャスティングは考えられないと思ったほどだ。

この祥子ちゃんがとにかくかわいい。大学生の頃、こんなかわいい子が一緒にいて、こんなことがあれば嬉しかっただろうなぁ・・・と思わされた。
男子高校生なら誰もが妄想しそうな、それをそのまま登場させたような存在なのだ。

そんなわけで、話は80年代あるあるから男子高校生妄想あるあるになっていく。
読んでいて懐かしく、そして楽しく、至福の時を過ごした。

ところが、ある事件をきっかけに話が急転する。
詳しくは書かないが、それまでの雰囲気とはガラリと変わっていく。
このまま最後まで続くと思っていた僕は戸惑った。

実際こんなものだろう。と思う。

「横道世之介」は、80年代後半の話だが、何カ所か20年後の現代の話が入ってくる。
世之介以外の登場人物が40歳になり、20年前の世之介のことを思い出す。

だから話が進んでいくうちに、ある程度20年前の話が見えてくる。
まさか? いや、まだわからない・・・

そう思いながら読んでいくのだが、現実はそうではなかった。
僕らがみんなそうだったように・・・

いや、実際こんなものなのだろう。と思う。
そう思う。けど・・・

でも読んでよかったと思う。
楽しかったし、できれば映画も観に行きたいと思ったほどだ。

最後に

久しぶりに大学の頃のことを思い出した。
20年ぶりくらいに卒業アルバムを引っ張り出してきて、パラパラと眺めていたら、映画とはぜんぜん違うバブル感満点の学生達が写っていた。

今より10kg近く痩せていた僕は別人のようだった。
何人かは20年ぶりに懐かしい顔に会うことができたが、まわりに並んだ顔はほとんどが名前も思い出せなかった。

校舎の前で撮ったゼミの写真を見ると、みんな普通の服を着ているのに、なぜか僕だけ真夏の格好をしていた。肩を大きく出したランニングシャツに膝までの短パンにビーチサンダル。おまけに手にはサンオイルを持っていた。
もちろん撮影したのは夏ではない。
そう言えば、せっかく写真を撮るのだから・・・といって、そんな格好をしたのを思い出した・・・

そして、記憶の片隅に追いやっていていたあの頃の記憶が久々に蘇ってきた。

20年以上経っているので、もう何も残っていないと思っていたのだが、心のかさぶたは簡単には治らなかったようだ。
久々にさわった、かさぶたの下はまだ血がにじんでいた。
いつか、かさぶたがポロリと取れて、この傷跡はあの時のものと言えるようになるまでは、まだしばらくかかりそうだ。