道徳の授業がキライな理由と、北野武の「新しい道徳」と、絆創膏と...

子供の頃、道徳の授業はキライでした。

あるテーマについて問題提起され、クラスのみんなで話し合ったりするわけです。
他の授業、例えば数学なら、王道の基本的な解き方以外の方法はないか考えて、他の人が気づかないような方法を提案するのが好きでした。

道徳はみんなで考えて、みんなで話し合うはずなのに、実は最初から答えは決まっていて、その答えを選ばないといけなかったり、実その答え以外は認められないみたいな空気がつまらないし、気持ち悪く感じたのです。

「よい子ならどうすると思いますか?」と聞かれたなら、模範通りの回答をする自信はあるのですが、「あなたならどうしますか?」と聞かれると、自分の思った通りの回答以外はしたくないのです。

たまたま、教科書通りの回答と自分の考えが一致すればいいのですが、自分の考えが教科書と違ったら、どうするか?

普通は、教科書通りの回答をすると思うのですが、僕はそれがイヤだったのです。
決して、非道徳的な考え方をしているわではないと思うのですが、自分の考えていることと別のことを自分の意見のように言うことが、自分やまわりを騙しているように感じたのです。

「あなたならどうしますか?」ではなく「よい子ならどうすると思いますか?」と質問されるか、いっそのこと「これが正解です」と無理矢理模範解答を押しつけられた方がよかったかもしれません。

だから自分から道徳の本を読むことになるとは思いませんでしたが、たまたま「新しい道徳 『いいことをすると気持ちがいい』のはなぜか」(北野 武 )を見かけて、なんとなく読んでみました。

新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか(北野 武)

最初に結論を書いておく。
結局、いいたいことはひとつなんだから。
「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」

から始まって、なかなか楽しめました。

例えば、昔の日本の価値観では妻は夫を立てることになっていたが、時代とともに考え方も変わってきた。道徳なんて、ほんの少し時間が過ぎただけで、あっさり変わるものだなんて話を読んでいると、そう言われれば、そんなものだな。なんて思ったりするわけです。

そして、僕が道徳の授業がキライだったことについても書かれていました。

道徳の教材に、こんなイラストがあった。電車の席に座った子どもが嫌そうな顔をしている。隣の大人は眠ったふりをしている。目の前に年寄りが立っているからだ。大人も子どもも、席を譲りたくないんだろう。

さらに、そのイラストには、こういう問いが付けられていた。

「こういうときは、どうすればいいか、みんなで考えましょう」

一応、みんなで考えて答えを出すことになっているわけだが、正しい答えはもちろんはじめから決まっている。「席を譲らなくてもすむように隣の大人と同じように眠っているふりをする」という答えに、まさか先生がマルをくれるはずはない。

「どうぞ」といって年寄りに席を譲るっていうのが、正解なのだろう。

最初から正解が決まってるなら、みんなで考えずに「どうぞ! と言いましょう」と言われた方がスッキリします。

もちろん、共感できる話もあれば、共感できない話もありました。
でも、一番よかったのは、夢について書かれていたところです。

夢なんかかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。 俺は心の底からそう思っている。

どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。

お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。

贅沢と幸福は別物だ。慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。

同じことを僕が言っても説得力はありません。
「美味いワイン、飲んだことないでしょ?」
「贅沢できた方がいいに決まってるよ」
そう言われたら、返す言葉はありません。

そう言えば、30年以上前にビートたけしに会ったことがあることを思い出しました。

ハワイのワイキキからちょっと離れた人の少ないビーチにいた時、たけしがツービートでやって来てテレビの撮影を始めました。ビートきよしがサーフボードか何かに乗って海に入っているところを撮影していたのですが、そのうち岩か何かで足を切ったらしく、他に日本人がいなかったので声をかけられました。

手元にあった絆創膏をあげたお礼に、一緒に写真を撮ってもらいました。撮影の合間にちょっと話もできました。当時、ドリフやひょうきん族などのお笑いは観てはいけないという家庭もあったようですが、うちは特に禁止されることもなく、むしろ一緒に楽しんでいました。もし、禁止されていたら、あのような想い出はなかったかもしれません。あの写真、どこにいったのかなぁ・・・

もし、あの頃、ビートたけしが同じことを書いていたら、今と同じように感じただろうか?
いや、価値観なんてほんの少し時間が過ぎただけで、あっさり変わるもの。そんなこと考えてもしょうがないか。