冤罪は起こるべくして起こった「殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」

幼女誘拐殺人事件の容疑者が「四五歳無職、元幼稚園バス運転手、週末の隠れ家にはロリコン・ビデオ」と聞くと、どのような印象を受けるでしょうか?

「そいつが犯人に違いない」とまではいかなくても「かなりあやしい」と感じるのではないでしょうか。

「誘拐殺人犯」として逮捕され、最高裁で無期懲役になった菅家利和さんは「四五歳無職、元幼稚園バス運転手、週末の隠れ家にはロリコン・ビデオ」とマスコミに報じられました。

しかし、実際は警察の内偵捜査で腰が引けた勤め先に解雇されて無職になったのであり、隠れ家も親元から独り立ちした住まいであり、押収されたビデオにロリコンものなど一本もありませんでした。

菅家さんは17年半もの間、刑務所に閉じ込められていましたが、冤罪でした。

今回は「殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(清水潔)です。

殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件(清水 潔)

以前「一人でも多くの人に読んでもらいたい「桶川ストーカー殺人事件 ー遺言」」で紹介した「桶川ストーカー殺人事件 ー遺言」もそうでしたが、著者の清水潔は今回も大きくこの事件に関わっていき、菅家さんを釈放へと導きます。

そもそもどうして菅家さんは犯人になってしまったのか?
これは虚偽の自白によるものですが、詳細を読むとヒドいものです。

遺体の発見場所、渡良瀬川での実況見分について、H警部と菅家さんのやり取りです。

Hが『遺体を捨てた場所はどこだ!』と聞くんですよ。私は新聞の写真で見ただけで、初めて行った場所ですから全然わからないんですよ。途方に暮れて適当に指さして、『ここに捨てました』と言ったんです。そしたらHが『違う、もっと向こうだ』って言ったんです。だから私は、それに合わせて言うしかなかったんですよ

「遺体を捨てた場所はどこだ!」
「ここに捨てました」
「違う、もっと向こうだ」
こんな会話、理解できますか?
コントの世界です。

次は、事件当時に菅家さんの履いていた靴について、調書に菅家さんの直筆で次のような説明と靴底の絵が書かれていました。
「平成元年に、近くの店で購入したもの」
「まみちゃんをころした時 私がはいていた運動ぐつ」

この靴底の絵はどのようにして描かれたのか。

「お前が履いていた靴の絵を描いてみろと言われたんです」
しかし、自分の靴底の模様など覚えてはいない。すると刑事は一枚の写真を出してきた。
「なんだか、靴底の写真でした」
それを菅家さんは懸命に模写したというのである。恐らく現場で発見された足跡から起こした靴底だろう。

現場に残された靴底を見て、自分の履いていた靴底の絵を描く。
それはピッタリ一致するはずです。

取り調べもヒドい有様で、録音されていた森川検事の取り調べは、黙秘権を告知しておらず、弁護士にも連絡しなかったなどの問題点が指摘されて、後に違法な取り調べと認められることになっています。

どうして菅家さんはやってもいなことを認めてしまったのだろうと思ったのですが、「裁判になれば、きっと大岡越前みたいなすごい人が出てきて、何も聞かずに無罪とわかってくれる......」と思っていたそうです。

大岡越前と言われると「?」となってしまうかもしれませんが、もし「自分はやっていないし、無理矢理自供させられた」と思っていれば「こんなデタラメ、誰かがおかしいと気づくはず」と考えても不思議ではないと思いました。

そもそも、どうして警察は菅家さんを「誘拐殺人犯」として逮捕して、検察は起訴して、最高裁は無期懲役の判決を下したのか?
それは「DNA型鑑定」です。

「DNA型鑑定で結果が出たなら、そいつが犯人に違いない」と思う人も多いのではないかと思います。
実は、僕もそのように思っていました。指紋のように一致すれば、間違いなく犯人を示すものだと。

「DNA鑑定」ではなく、「DNA型鑑定」と書いてあるように、この当時の鑑定は血液型と同じように型分類だったそうです。個人個人のDNAをグループに分けて識別するので、型が犯人のものと同じならば犯人の可能性があるということです。逆に言うと、同じ型の別人もいるので「型が同じ=犯人」とは言えないのです。

つまり、型がほんの少しでも違った場合は、「犯人ではない」ということが言えるのですが、型が同じだからといって必ずしも「犯人だ」とは言えないことがわかります。

実際、捜査におけるDNA型鑑定の先進国アメリカなどでは、DNA型鑑定が死刑囚や無期懲役囚の無罪の証明に使われているそうです。型の数値が一つでも違えば完全に別人であることが証明できます。しかし、DNA型が一致しても「犯人の可能性有り」ということしかわかりません。絶対であると思っていた「DNA型鑑定」は、このようなものだったと知りました。

たまたま菅家さんと犯人が同じ型だったという話かと思いきや、さらにいろいろな問題が出てきます。冤罪は起こるべくして起こったと言えるでしょう。

DNA型鑑定の結果が間違っていたとなると、DNA型鑑定を証拠として使っていた事件については、根底からひっくり返されることになります。今から考えると、本当に犯人だったのかあやしいまま死刑執行された話もあるようで、警察としては今さらこの話をほじくり返して欲しくないのでしょう。

さすがに、現在のDNA型鑑定では冤罪が起こらないと思う(と信じたい)のですが、警察が己の体裁を取り繕うために真実をねじ曲げたり、見て見ぬ振りをする話は恐ろしいことだと思いました。