「天才」イタコ・石原慎太郎による降霊小説「角栄よ〜ん♡」

心霊写真など心霊現象や、UFO、超能力、ノストラダムスの大予言、ネッシーなど、70年代は、今と比べものにならないくらいオカルトを扱ったテレビ番組がありました。

イタコが自分の身体に降霊させ、亡くなった人と会話するのも何度かTVで観たことがありますが、降霊した人が男性の場合、イタコのおばちゃんはタカラヅカの男役みたいな感じで「わしは●●●●じゃ・・・」と話をされるわけです。

驚いたのは、マリリン・モンローを降霊した時でした。
「モンローよ〜ん♡」って、日本語やないかい!

身体に入った霊がしゃべってると言うのですが、おばちゃんがしゃべってるようにしか見えませんでした。

今回読んだ「天才」(石原 慎太郎)は、まさにそんな感じでした。

天才(石原 慎太郎)

田中角栄の子供の頃から亡くなるまでを描いた話なのですが、一人称の「俺」で語るわけです。

なぜか読んでいると、田中角栄ではなく、石原慎太郎が語ってるように感じるのです。

これは石原慎太郎の考えで、石原慎太郎の意見じゃないのか? と。

また、いいこと書いてあるなと思って、ふと気になることがありました。
例えば・・・

誰か相手を選ぶ時に大事なことは、所詮人触りの問題なのだ。それについては俺には自信というか確信もあった。そのために俺としては日頃さんざ心遣いをしてきたものだ。特に身近な相手に関わる冠婚葬祭には腐心し手を尽くしてきた。何よりも人間にとって生涯たった一度の死に関する行事である葬列の折には精一杯の義理を果たしてきた。

本当に田中角栄がそう考えていたのか、田中角栄ならそう考えていただろうと石原慎太郎が思ったことなのか、どっちなのか? と、考えてしまいました。

過去に検事側から描いた「壁を破って進め 私記ロッキード事件」(堀田 力)は読んだことがありましたが、田中角栄の視点で見た「ロッキード事件」は、イメージしていたものと違っておもしろく感じました。

まぁ、その〜、スゴい人でしたね。