社内政治が苦手、政治的センスがないと思う人は必読!「社内政治の教科書」

「『課長』から始める 社内政治の教科書」(高城 幸司)を読みました。

「課長」から始める 社内政治の教科書(高城 幸司)

この本は、タイトル通り課長向けの本ですが、世の中の多くの課長は必要としないでしょう。普通は、意識することなく自然に振る舞えるか、自分で考えて行動できているはずです。
不器用な課長向けの本です。僕のように。

「社内政治」と聞いて苦手と感じる人、政治的センスがないと思う人にオススメです。
自分一人なら、避けて過ごすこともできるでしょう。でも、課長なら、必ず部下がいるはずです。その部下のためにも、読むべきではないかと思いました。

できていないことはわかっていました。
「こうしなくちゃいけないな」「もっとこうするべきだ」読んで、そんな風に反省したり、もっとがんばらなければいけないと思うことが載っている。
と、思っていました。

確かにそんなことも書かれていました。

どんな言葉をかけられたときに、人間は喜びを感じるか。
「ありがとう」「すごいね」などの言葉ではなく、「本人の名前」だそうです。
「名前」を覚えているかどうかは、相手が自分をどう捉えているかを測る尺度なので、まず「名前」を覚えて、「名前」で呼びかけることが重要みたいな、社会人として当たり前にできないといけないような基本的なところから書かれています。

なるほど、意識してやらなきゃいけないなと。
このあたりは想定内でした。

読んでいて、ショックだったのは、やってはいけないと書かれていることを結構やってしまっていたことです。

やってはいけないこと

「立て板に水のように論理を展開し、相手をやり込める。サラリーマン・ドラマなどでも、上司の悪事を弁舌巧みにやり込める人がいます。」
これはまさに憧れの社会人、半沢直樹ではないか。と思って読んでいると・・・

「実際の会社生活のなかで、そのようなことをすれば政治的にまずいことになります。やり込められて、メンツの潰された相手に恨まれ、いずれ足を引っ張られることになる。」
まぁ、そりゃそうですね・・・
敵をつくらないのが、社内政治の鉄則だそうです。
いや、仰る通りです。

不幸中の幸い、僕の場合は半沢直樹に憧れているだけで、実際に相手をやり込んだことはありません。というか、できてないので、問題ないと言えば問題ないのですが。

議論で勝って、政治に負ける----。
これが、社内政治における現実なのです。

なんだろ、スッキリしないこの気持ちは・・・
ほんじゃ、議論に負けろってこと?

議論から逃げたり、自分の考えを押し殺して、相手に迎合するわけではなく、「議論」という形を避けながら、相手に自分の意見を認めさせるように工夫するそうですが、そんなことできりゃやってるわい! と。

そもそも議論に「勝とう」と思うところがダメなようで、それでは相手の対抗心を刺激するだけ。最悪なのは、相手の発言を否定することだそうです。
いや、意見が違ったら、否定もするだろと思ったのですが、このように書かれています。

「交渉事において、相手の自尊心を傷つけるほどバカげたことはない。相手は、自分の自尊心を守るために、より一層、自説の正しさにこだわり始め、議論は膠着状況に陥ります。議論に『勝とう』とすればするほど、泥沼にはまってしまう。」

では、どうすべきなのか?
相手にしゃべらせるそうです。聞き役になって、できるだけ相手から話を引き出すそうです。

ここでまた「やってしまっていた」と思うことが書かれていました。

「議論というものは『10対0』で勝つべきものではない。もしも、100%論破できる材料を揃えることができたとしても、一定の譲歩を示しつつ『7対3』『6対4』での決着をめざすのが懸命。」

今まで常に全力投球で、パーフェクトゲームを目指してました。
さらに、自分の未熟さを思い知らされます。

「『勝とう』とする者ほど、議論では負ける。こちらの主張を強要しても、相手は心を閉ざすだけ。 それよりも『負けたふり』をしてでも、相手に言いたいことを言わせる。相手を知ることこそ、議論で勝つ最良の方法。」

もっと大人にならなければいけないと思いました。
トホホ・・・

情報力について

「情報力が政治力に直結する。」
これは、理解できます。
では、どうやって情報感度を高くするか?

「キーパーソンたちとは、ふだんから交流を深めておくといいでしょう。仕事で直接かかわらない場合には、ランチに誘ったり、お酒を飲みにいったり、ちょっとした立ち話をしたり、継続的に情報交換をする機会を設けることです。」

結局、そこなんですね。
昔とは時代が変わって・・・みたいなことを聞くこともありますが、結局は飯食って、酒飲んで、情報交換。
得るものもあるけど、失うものもあるなと、感じるけど、普通の人はそんなこと考えないのかな?

さらに興味のないものに、社内ゴシップがあります。

「仕事とは直接関係のない、プライベートな事情についての興味本位の噂話に不快感をもつ人も多いが、どんな会社でも、多かれ少なかれ社内ゴシップは常にささやかれている。」

その通りでしょう。
「社内ゴシップには一切かかわらない、というのもひとつのスタンスです。」と書かれていて、ちょっと安心したのもつかの間でした。

「社内政治を行ううえできわめて重要なことなので、社内ゴシップがある程度耳に入ってくる環境はもっておいたほうがいい。そのためには、あまり正義漢ぶらないこと。はねつけてしまうと、誰もあなたにゴシップを話さなくなる。」

やっぱり必要なのかよ!
正義漢ぶるつもりはぜんぜんなく、どうでもいいような話に、ただ興味がないだけなのだが・・・

このあたりで十分読むのがしんどくなってきましたが、さらにたたみ掛けるように続きます。

「組織を動かしているのは『権力(パワー)』です。」
その通りだと思うのですが、いや・・・ 続けます・・・

「社長が絶対権力をもつオーナー会社には、役員がすべて社長の『イエスマン』であるようなケースもある。そんな状況でも『べき論』は可能。
しかし、社内政治において『べき論』は無力。組織を動かすのは『パワー』なので、無策のまま逆らっても叩き潰されるだけ。考えるべきは、どうすれば『パワー』を動かすことができるのかということ。」

バカ正直に正面から立ち向かってもダメだということなのでしょう。
ここでも、自分の未熟さを思い知らされました。

ここまでやらなきゃいけないのか

ここまでやらなきゃいけないのかと、思うことも少なくありませんでした。

「たとえば、有力者と同じ趣味をもっていれば、その人物との話題も豊富になるでしょうし、休日にともに活動するようなチャンスが訪れるかもしれません。あるいは、社内でスポーツの同好会をつくることによって、社内人脈を広げることもできるでしょう。」
こういうのって、本当にやってる人いるのでしょうか?
小説やドラマだけの話かと思っていました。もっと努力しなければいけないですね。したくないけど。

「上司のことは褒めておく。本人がいない場所で褒めれば、さらに効果的。必ずしも本心である必要はない。ウソでもいいから、とにかく褒めてしまう。」
本心である必要はない? ウソでもいいから?
本当にここまでできなきゃいけないのか・・・

「上層部に『顔』を売るために、偶然を装って必然的にコンタクトがとれる機会をつくり出す。例えば、同じ電車で通勤して、駅を出たところで偶然を装って声をかける。よくランチをとるお店がわかれば、ときどきそこでランチをとる。喫煙者であれば、喫煙所で一緒になるチャンスを待つ。」
社会人になって20年以上経ちますが、こんなこと今まで考えたこともありませんでした。

おそらく、普通の社会人なら呼吸をするように、できてしまうようなことばかりだと思うのですが、社会に適合できない人間が読むと「こんなことまでやらなければいけないのか?」の連続でした。
今まで、自分がどれだけ社会人として努力を怠っていたのか、身につまされました。

上司について

上司についての話は、参考になりました。

「上司をクライアントだと捉える。上司がクライアントなら、上司が求めていることを知り、それを満たすように努力するのが、仕事の出発点。『この課はこうあるべき』という考えをもっていることは大切だが、まずは上司の求めていることを実現することを優先させなければ、上司は信頼を寄せない。」
確かに、上司を仕事の発注主、クライアントだと考えると、わかりやすいかもしれません。

「仕事のやり方は上司に合わせる。重要なのは、コミュニケーションの仕方で、こまめに情報を上げてほしい上司もいれば、一定期間ごとにまとめて報告してほしい上司もいる。口頭で報告されるのを好む上司もいれば、文書で報告してほしい上司もいる。こうした上司の好みに合わせるようにする。」
これも当たり前の話なのですが、温度差が違ったりすることが多いのではないかと思います。

派閥について

派閥についての話を読んで、ほとんど忘れてしまっていた記憶が蘇ってきました。

「最近は、若手を中心に、派閥と距離を置く『中立派』や、派閥にかかわらない『孤高の存在』をめざすビジネスマンが増えているようです。これは、島耕作が大きく影響しています。」と、ここまで読んで、思い出しました。

すっかり忘れていましたが、社会人になったばかりの頃「課長島耕作」を読みました。初芝電器産業の課長 島耕作が役員に誘われるも「どんな派閥にも属さない」と断る姿に感銘を受けたことを思い出しました。どこまで読んだのか覚えていませんし、細かいストーリーも覚えていませんが、影響を受けたことは間違いないと思います。

島耕作に影響を受け、半沢直樹に憧れる。
こう書くと、いい大人が何を言ってるんだ? と思われるでしょう。

今まで、真樹日佐夫先生の仰るように、格好良いか、格好悪いかを基準にして生きてきました。

男というのは、お前が今やっていることを格好良いか、格好悪いか、それを基準にして生きなさい。
世の中には色々な判断基準があって、人間社会は善悪によって縛られているし、人によっては損得という生き方もあるだろう。
だが、男は"美醜"によって生きなさい。"美醜"こそが男の指針であるべきだ。

コンバットREC @combat_rec 真樹日佐夫先生を語る - Togetterまとめ」より

課長に必要なのは「美醜」よりも「政治力」。
この本を読んで、勉強になりました。

最後に・・・

そして、最後に一番心に残ったことを。
「社内の同僚を相手に本音をさらけ出すのは避けたほうがいいでしょう。」
その相手も同じように社内政治を戦っているからだそうです。

同僚に本音も出せないとは、なんと世知辛い・・・

しかも、うちの会社は「初芝電器産業」みたいな大手電器メーカーでもなければ、「東京中央銀行」みたいな世界三位のメガバンクでもないのですが・・・
こんな小さい世界で、向かう方向は同じはずなのに・・・

世の課長はみんなこんなことを考えながら生きているのだろうか?
今の役職になって何年も経ちますが、あらためてそんなことを考えさせられました。

誰かを憎んでも 派閥を作っても
頭の上には ただ空があるだけ
みんながそう思うさ
簡単なこと言う

夢かもしれない
でも その夢を見てるのは
きみ一人じゃない
仲間がいるのさ

「社内政治」と聞いて苦手と感じる人、政治的センスがないと思う人にオススメしたい本だと思いました。
でも、読むなら、中途半端な気持ちで読まない方がいいと思います。

僕は疲れました。
そして、生きていくのがしんどくなりました。