写真を撮る楽しみを忘れた人に「誰も教えなかった"自分流写真"の方法」

4年前にSONY α55を購入しました。もちろん今も使っていますが、4ヵ月前にはRICOH GRを購入し、これは常にカバンに入れています。

これ以外にもPanasonicのミラーレス一眼も持っていますが、最近、写真を撮るのが以前ほど楽しく感じなくなってきました。

写真に関するいろんな本を読み、ある程度知識が身についたことにより、「これはこう撮らなくてはいけない」など、いろんなことが気になり始めました。

教科書通りに写真を撮っていると、楽しむより、作業に感じるようになってきたのです。

そんな時に「誰も教えなかった"自分流写真"の方法」(丹野 清志)を読みました。

誰も教えなかった

気軽に写真を撮るんじゃねぇ。一枚一枚、魂をこめて撮るんだ。
みたいに思っていたのですが「再生・消去モードは安易だと言われるが、撮影→再生→消去→撮影は写真のリズム。」を読んだ時は、憑き物が落ちたように感じました。

「写真の基礎を知れば撮り方の勉強はいらない。必要なことは好奇心と想像力である。」
そういや、USJの「セサミストリート」で、エルモも「イマジネーション」が大切と言っていました。

「何を撮ったらいいのか迷っている人は、「芸術作品」を意識しすぎです。」
まさにこれでした。元々芸術作品なんて撮りたいと思っていなかったのに、そういう風に撮らなければいけないような気になっていたのです。

「『広角レンズはぐっと寄って撮れ』と言うが、レンズの迫力だけでは強い写真にはならない。」「『ムダなものは省略すべし』と言われるが、いろんなものが写っているから面白い。」など、こうしなきゃいけないと思っていたものが「そんなことないよ」と書かれていて、なるほど、そういう考え方もあるのかと思いました。

「ズームレンズで撮るか単焦点レンズで撮るか、どちらで撮ろうと作品の評価に関係なし。」
「男は黙って単焦点」と思っていた時代もありました。今も、単焦点レンズは好きですが、確かに写真の評価には関係ないですね。

他にも「思い込んだ構図にとらわれすぎていませんか。画作りに集中すると写真の発見に気づかない。」「『風景写真』は作例写真通りに撮ろうとすると、自分の心に響く感動の光を見失う。」「祭りやイベントの場では撮らされてしまう。自分の世界を見つけないと写すだけで終わる。」など、ポロポロと目から鱗が落ちました。

写真を撮り始めて、最初に読む本ではないと思いますが、ある程度知識を身につけて、何か変えてみたい、教科書通りから脱皮したい、自分の好きなように撮ってみたい、そんな風に感じた人にピッタリの本ではないかと思いました。