明日は我が身「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」

「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」(藤田 孝典)を読みました。

そもそも「下流老人」って何なの?

この本では、下流老人を「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」と定義されています。もう少しわかりやすい表現だと「国が定める『健康で文化的な最低限度の生活』を送ることが困難な高齢者」となります。

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃(藤田 孝典)

著者の藤田氏は埼玉県を中心に、12年間、下流老人を含めた生活困窮者支援を行うNPO法人の活動に携わり、多くの生活困窮者の惨状を目の当たりにしてきたそうです。

日に一度しか食事をとれず、スーパーで見切り品の総菜だけを持ってレジに並ぶ老人。
生活の苦しさから万引を犯し、店員や警察官に叱責される老人。
医療費が払えないため、病気を治療できずに自宅で市販薬を飲んで痛みをごまかす老人。
そして、誰にも看取られることなく、独り静かに死を迎える老人。
下流老人は、いまや至るところに存在するそうです。

そして、平均的な給与所得があるサラリーマンでも、下流老人になる可能性があるそうです。

ホンマかいな? といった気持ちで読み始めたのですが、読み始めると、救いのない話に暗い気持ちになってきました。

「気の毒な人もいるもんだねぇ・・・」と他人事のように思っていたら、大間違いなのです。

下流老人の具体的な指標「3つの『ない』」に揚げられているのが次の3つです。

  1. 収入が著しく少「ない」
  2. 十分な貯蓄が「ない」
  3. 頼れる人間がい「ない」(社会的孤立)

1と2はイメージできると思いますが、「3.頼れる人間がい『ない』」は、家族や近隣住民やお茶飲み仲間、友人などとの交流がなく、困ったときに頼れる人間がいないということです。

収入が低くても、親の遺産なども含め十分な貯蓄があれば問題ありませんし、貯蓄がなくとも家族の助け、地域の縁があれば支えあって暮らしていけます。しかし、そのすべてを失ったとしたら・・・
つまり、下流老人とは「あらゆるセーフティネットを失った状態」と言えます。

それぞれ詳しく書かれていますが、読んでいくと自分も十分ではないことに気づく人が多いと思います。

例えば「貯蓄」について。
2014年の総務省「家計調査報告」によれば、高齢期の2人暮らしの場合の1ヵ月の生活費平均は、社会保険料などすべて込みで約27万円だそうです。つまり65歳になった時点で、仮に年金やその他の収入が月約21万円あったとしても、月6万円不足することになります。
貯蓄額が300万円では、約4年で底をつきます。仮に1000万円あっても14年弱しかもたず、最終的に貧困に陥る可能性があります。
こりゃ、足りないわ・・・

だから、若いうちに計画的にお金を貯めておかなかったからでしょ?
と、思われるかもしれません。
でも、この本を読んでみると、下流老人が個人の努力でどうにかなるレベルではないということがわかりました。

現在の若者の多くは下流老人と化す

藤田氏が現場で見た人の中には、年金をもらっていても、一日に2食しか食べられずに栄養状態が悪い人や、病気になっても重篤化するまで病院で受診しない人、そして、住宅の補修費が出せないため、壁や天井、窓に穴が開いたままの環境で暮らしている人もいるそうです。
今後、年金の受給額が減る可能性も高いことを考えると、僕ら現役世代は、もはや年金だけで十分な生活を維持することは、ほぼ不可能のようです。

現在の若者の多くは下流老人と化す。
これは現状では、避けようがない。と・・・

これだけ高齢者の下流化が進んでいて、これからも増え続けることは明らかなのに、なぜ何の対策も講じられていないのか?
その背景には、わたしたちの「無自覚」の問題がある。と、藤田氏は言う。

多くの人に下流老人のリスクがある中、「自分は大丈夫だ」と思っていないでしょうか。
もっと言ってしまうと、こんな問題があることすら「知らない」あるいは、怖いので「考えないようにしている」のではないでしょうか。

そして、下流老人の問題は、「親世代と子ども世代が共倒れする」「景気に悪影響をおよぼす」「少子化を加速させる」など、高齢者だけの問題ではないということがわかります。雇用対策や労働環境の改善にも本腰を入れて取り組まなければ、今後も下流老人になる恐れがある高齢者を生み続けることになるだろうと。

無料定額宿泊所

この本では「振り込め詐欺」や「貧困ビジネス」などについても書かれているのですが、その中でもヒドいと思ったのが「無料定額宿泊所」でした。

「無料定額宿泊所」って、何それ? と思って読んでみると・・・
「住む家のない生活困窮者に、一時的に安価に利用できる部屋を提供する業者」だそうです。
これだけ聞くと、よい話ではないかと思ったのですが・・・

この宿泊所は届け出をするだけで誰でも比較的簡単に開所できるため、近年さまざまな事業者が参入してきているそうですが、高額な施設利用料、劣悪な住居環境、粗末な食事、運営者への不満、転居支援を含めた自立支援の少なさ、不当あるいは違法行為の横行など、いろんな問題があるようです。

運営者による暴言や暴力による虐待があったり、無断で通帳をつくられ金銭管理をされているといったケースもあるようです。口座を管理されて、支給される生活保護費の7〜8割程度をもっていかれるケースもあるそうですが、こんなことが許されてよいのでしょうか?
しかし、宿泊所はなくならないばかりか、むしろ利用者は年々増えつつあるそうです。
なんとかできないものなのか?

「対策」と「予防」

読んでいると、救いのない話ばかりなのですが、下流老人に陥ってしまった場合の「対策」と、そうならないための「予防」についても書かれていました。

「労働賃金や年金、援助を受けていても、生活保護は利用できる」など、知らないことが多かったです。これから高齢者になる人は知っておいた方がよいでしょう。

ここが一番大切な話だと思いますので、これはぜひこの本で読んでもらった方がよいと思います。

最後に・・・

下流老人とその膨大な数の予備軍を放置するのか、それともここで政府に対して対策を求めていくのか、今まさに岐路に立たされている。

貧困は「努力が足りなかったから」「計画性がなかったから」など、本人の問題として理解されたり、処理されてしまいますが、「下流老人を生んでいるのは社会である」と。
その高齢者本人や家族だけが悪いわけではない。貧困に苦しむ当事者やわたしたちは、この自虐的な貧困感から脱却し、社会的解決策を模索するべき時代に入っているのではないかと書かれていました。

印象に残ったのは「相談支援の現場で実感するのは、「人間関係の貧富の差」が幸福度を決定するということ」です。
生活が貧しくとも、友人同士で料理を持ち寄ったり。コミュニティセンターでおしゃべりを交わしたり、老人クラブで踊ったりと、楽しく暮らす場面によく出会う。そのような高齢者は、比較的支援もスムーズに進み、貧困に陥らない、もしくは貧困に陥っても生命が脅かされる危険性は低いそうです。